祝福の中産まれ、祝福の中生きる

「あなたが、今まで怖くて出来なかったことはなんですか?」

八木さやちゃんからの問いに、答えてみたいと思います。

良かったらあなたも一緒に自分を見つめ直してみてくださいね♡


私は、う~ん、、そうだなぁ。

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スポットライトの真ん中に立つこと(目立つこと)

自分を堂々とアピールすること

美しい人として生きること

ことばを使って美しい物語や愉しい時間を紡ぐこと

ひとに夢を与えられるぐらいの影響力をもつこと

カフェやセレクトショップの経営なんて乙女の夢みたいなことを堂々と叶えて、なおかつ大金を循環させる実業家になること

大きなプロジェクトを動かして、めちゃくちゃ魅力的な町を創ること

霊能者になること

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きゃ~~~!!

こんなこと言うの、こわいよ~。

これまでだって、ブログの中でカミングアウトを繰り返してきたのに、いまだに怖い。

だって「アンタなんかが何言ってんの」って自分が一番先に思っちゃうんだもん、、、。


なんかね、私、大学に入って、それから社会人になって、たくさんのひとを見て、自分を客観視して、その結果「上には上がいる」というあきらめのような感覚を、いつも持っていたように思う。

英語が得意だったけど、外大に行ったら、私みたいなのゴロゴロいたよ。

入学してすぐにすんごいツワモノを発見した時はまじでショックだった。

それは受講する講座を選ぶために見学して回っていた時のこと。

あまりにも人気すぎて、席が足りなくて、講義室の外まで学生が列をなしていた講義があったの。

もうそれ見た瞬間、「これや~めた。ムリムリ。」って思ったよね。

そしてまたその次の瞬間、ひとりの女の子が外国人の教授に向かって、ものすごい大声で話し始めたことに圧倒された。

大講義室に溢れるほどの学生たちの前で、だよ。

「この授業を受けるために私は外大に来たんです。第一希望なんです。定員を超えてると言われても、納得できません。この講義を受けさせてください!!」

「不可能だよ」と教授。

「いいえ!私は先生の講義を受けたいんです!お願いします!!!」

もちろん英語でよ?

その英語力にももちろん圧倒されたんだけど、私が一番ショックを受けたのはね、その度胸と根性、自分のアピール力。

私にはこれっぽっちもないなぁって。


私のことを「かわいい」って言ってくれるひともいたけど、私より圧倒的に顔も美しくてスタイルも良くて、センス抜群なひとなんかいっぱいおるやん。星の数ほどおる。

私が「とりえだ」と思っていることって、結局のところ、「上には上がいる」わけなんだよね。当たり前だけど。

「私なんて」を実証する証拠がゴロゴロころがってたわけ。


あと、いくら品の良い女性になろうとしても、品のない自分は隠せないな。

だって私ね、下ネタ(しかもめちゃくちゃくだらんやつ。小学生男子レベルの笑)大好きだし。稲中卓球部読んでたし。

あと、サッカーやってる私を見たら、びっくりするほど野性的です^^

それに口も悪いな。怒りがスパークする時の私は、生徒たちが身を乗り出して引き寄せられていたくらいに大迫力です。


それで、さ。

こっからが大事なところなんだけど。

このままの私、要するに、やんちゃで、下ネタ好きで(そこ!?)、しっかりしてそうに見えて(見えてるっけ?)おっちょこちょいで、そばかすっ子でちびっこの私がよ?

「このままで愛されてる」ということになれば、と言うか、「私は私でしかない。それでよし」ということを自分に許可できるのであればさ。


私はもうすでにしあわせなわけです。


そして、もうすでにしあわせだからこそ、できるチャレンジがあり、こわくてたまらなくても、「なりたい自分」を見据えられるんだ。

何を選択してもいいのなら、何がしたいか、ってこと。


能力を伸ばし、勉強し、資格を取り、自分というものに、たくさんのものを付け足し、つぎはぎして、努力に努力を重ねなければ、お金は稼げないものだし、しあわせにもなれないと、そして、望みを口にすることも恥ずかしいことだと、信じ込んでいた。


上には上がいるんだから、これくらいで自分のことを認めちゃダメって思ってた。


それはとても生きづらい世界で、からだを何度も壊し、気づいた時には、私は私の言葉を失っていた。


そこからは脱出したと思っていたのに、さ。

出てくるんよ。いつまでも。

おもしろいほどに。


「上には上がいる」なんて諦め顔になってたら、人生が彩りを失くすね。

客観視は必要だし、分析も必要だ。

だけど、「上には上がいる」から何だって言うのだろう。

自分は「下」だから恥ずかしいのか。

その時、採用している「基準」は一体何だ?


その時、私の目は私自身からそれてしまっている。


このわたしを選んで生まれてきたのは、紛れもないこの私なのに。


大学時代、イエスキリスト生誕の物語を観劇した。

特別な星✡に導かれて、イエスさまがお生まれになるということを三人の博士たちが知らせにきて、とか、なんだかそんなお話しで、とにかくものすごく祝福された誕生だったのだと、スペシャルないのちだったのだと、そういうお話なわけですよ。

それを例のごとくボーっと見ていた私。

そしたら、ピカーッってひらめいたの。


「みんなそうだったんじゃん」って。

「み~んな生まれる時、世界中に祝福されて、この世に現れたんだ」って。

「おめでとう!おめでとう!!地球を楽しんでおいで。君が輝くと、ぼくたちもその光を反射して漆黒の宇宙で輝けるんだ」って、愛のメッセージを光にかえて、星々はあなたの頭上でめいっぱいに輝いていた。


私たちのいのちは、ピカピカのほかほかで、光り輝くスペシャルな魂とこころとからだをもってこの世に現れた。

我々は、祝福の中産まれ、祝福の中を生きている。



自分の上に誰も置いてやるな。


自分の生きる世界ぐらい、自分で創ってやろうじゃないか。


自分のことぐらい、自分でしあわせにしてやろうよ。


光が当たることを恐れるなら、自分自身が輝いてしまえ。


「怖くて、今までできなかったこと」


こわいくらいに率直な夢を語ろう。

なかったことにしてきた、あなたの夢をもう一度取りに行こう。


今日のまとめ♡

①「こわい」ところに答えがあるから、とにかく自分を見つめてあげる。

②こわいところを世界に出してしまう。

③それでも祝福されている自分に気づく。

④祝福を受け入れる。


そもそも祝福はいつもそこにある。

あなたのそばに、ある。


Love,

Shoko


ことばのまじょ


なのかもしれない。


わたしは。


スランプに陥った時、わたしが失ったのは「ことば」だった。


それは、「あなたのちからは、ことば、ですよ」というメッセージだったのかもしれない、って今気づいたよ。



風とたね

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