世界を創造する責任
おしずおばさんから
戦争の話を聞いた。
「得意げに聞こえるから」
「誰かの氣分を害するかもしれないから」と
口をつぐんできた戦争の体験談。
100年に届くほどの時間を生き抜いてきた、ひとりの女性の人生のお話。
(たくさんのお話を聞いたのだけれど、原爆の体験談だけをかいつまんで・・・)
1945年8月9日午前11時02分。長崎。爆心地より3㎞の自宅にて。
生後間もない我が子を、昼寝蚊帳の中にそっと寝せていた、その時であった。
突然の猛烈な爆風にさらされ、驚きのあまりぽかりと口を開けてしまった。
そのせいだろうか。
歯茎がただれ、20代で総入れ歯になった。
ガスも水道も止まり、復旧のめどなど立たない。
まだ生後4か月の我が子を背負い、バケツを両手に遠く離れた山の上まで水を汲みにいった。
あぁ、あの頃にわたしは何を食べていたのだろう。
すべてが吹き飛び、少なかった配給の食べ物さえ途絶え、何かを食べた記憶がない。
ただひとつ、物資を持って歩いてきてくれた男性が運んできた菊かぼちゃ。
ボウフラの湧く雨水桶の水を濾して煮て、少しの塩をつけて食べた美味しさよ。
あれだけは今でも忘れない。
こんなに美味しいものがこの世にあったのかと。
たくさん、たくさんの人が死んだ。
生き残った人々が、あの時代、生きるためにどれだけ必死であったか。
こうして話してしまうと、わたしがここに生き残っているがゆえになんだか「ドラマ」のように聞こえるかもしれないけれど、そんな綺麗なもんじゃなかった。
とことん悲惨なもんだった。
戦争だけは、あんたたちに味わわせてはいかん。
あれだけはだめだ。
そう話してくれた。
昭和の時代は早くも過ぎ去り、平成という時代まで過去のものとなった今。
このタイミングでおばさんの話を聞いたことに、大きな意味があると感じている。
生と死
苦しみと喜び
醜さと美しさ
憎しみと優しさ
そのコントラストが「激烈」と言って差し支えないほどにくっきりとしていた時代。
その激烈なコントラストは、もう必要ないと、私は思う。
その両方が自らの内にあり、それを確りと見つめることができたなら、
人間に「戦争」という「コントラストを際立たせる背景」は、もう要らない。
令和の時代、とは、ひとりひとりの内側が平和になり、本当の意味での「感謝」に溢れた世界になるべく到来した新しい時代である。
わたしたちは、自分の内側を確りと見つめる目を持ち
自分の世界を創造する責任を果たそう。
わたしたちは美しい世界を創りだすことができる。
あなたが平和であれば、それは「この世界の平和」と同じ意味となる。
自分の内側は、同時に外側でもあるのだから。
Love,
Shoko
11月3日(祝)朝の気功教室。
風とたねでやっているイベントは、すべてわたしなりの平和活動です。
楽音さんもクリスタルボウル&ハンドパンで出演♬
赤松先生の穏やかな声と楽音さんの奏でる音が相乗効果抜群!
からだがのびやかに自然に気持ちよく動きました。
みなさんありがとうございました♡
また開催しますね^^
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