「わたしでいる」には

ここ最近

「中庸にもどる」・・・

ということを考えています。


こころが揺さぶられ

ぷしゅんとへこんだり

気後れしたり

張り切りすぎたり

表現がちょっとずれてしまったり


したときに


やっぱり 

私は「わたし」そのものでいたいし

「わたし」以上でも以下でもない存在として

輝いていたいと願うのです。


その

「わたし」以上でも以下でもないっていうことが

「中庸」(センタリングとかっても言うよね)ということなのかなと、思うに至りました。


そして、その軸がしっかりとしていれば、波が立って揺れても、大雨に流されても、

ゆ~らゆ~らと揺れながら、おぼれることはないのではないかと。


自分と向き合う覚悟ができていない時は

やたらと

「忙しい」

に逃げます。


外の世界のことで忙しくしていると

こころや魂の望みからはズレますが

実は自分と向き合わないでいいということへの言い訳が立つので

楽なんです。ラクチン。

でも、からだはサインを送りますので、色々出てくるよね、症状として。


私はずっとそうやって社会人としての生活を送ってきたので

今、リハビリ中のようなもんです。

からだは楽だけど、こころはしんどい。


おもしろいでしょ?


外の世界に振り回されて「忙しい」をしている時は

からだはしんどいけど、こころはラクチンだったりするの。


これは、リハビリに入ってから得た、私の大きな気づきです。


「わたしでいる」というのは、かなりの達人技です。

軽々とできているのは、我が家で言えば2才の娘。

勉強させていただいています^^


それでね、こんな抽象的な話で始まったけど、

私が中庸に戻る時にすごく役に立つなぁと思っている行動を書き留めておこうと思います。

と言っても少ないの。


掃除(雑巾がけ)

お白湯を飲む

下半身を温める

です。


大阪で大学時代に勤めていた学習塾の塾長さんは

「頭ばっかりヒートアップして、頭でっかちになってもうた時はな、無心になってからだを動かすねんで。動かんとな、川がよどむで~。ほんでな、からだを動かすのに一番ええのんはな、『掃除』やで」

という言葉通り、

朝は毎日プールで泳いだあと出勤し、教室内をひとりでぴかぴかに掃除していらっしゃいました。

その塾は、スタッフへの待遇も素晴らしく良く、生徒と保護者さんからの信頼も篤く、入塾希望者がひきも切らない人気塾でした。

私は、その秘密のひとつは、塾長さんの毎日の掃除にあったのではないかと思っています。


中庸。


からだだけでもあかん。

こころだけでもあかん。

陽だけでも、陰だけでも、この世はできていない。


これまで分離していたものを統合する動き。


物事は善悪ではない。

ただ、偏りは時にひとをとんでもない処まで運んでしまうことがある。

もしくは、よどみ、濁りを産む結果になることも。

それが自分の家やお部屋の散らかり具合ややさぐれ具合(家もやさぐれますヨ。いのちがあるので)に表れるのかもね。

そういう意味では、部屋を掃除するだけで頭やこころがクリアーになるって、自分の内面と外側がリンクしてるってことの証拠ですね。


あと、お白湯って素晴らしい飲み物だなって改めて。

内臓をシャワーで洗い流し、内側から温め、クリアーにしてくれる。


そして、下半身、特に子宮を温めると、この現実の世界にどっしりとグラウンディングできる感覚があります。

下半身冷えてたら、ちょっとこころの収まりどころがないというか、心もとない感じ。


「自分に向き合う」を長年放棄してきた私は、今大きな転機を迎えていて、

新しく始めた今の仕事の在り方も抜本的に見直していくつもりです。

(と言うか、変えていかざるを得ない)


夏至前日。


自分を自分のセンターに戻すために

私はこれから


掃除をしま~す(笑)


Love,

Shoko


1年で一番エネルギーの強い太陽だそうですよ!




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