癒しと自立

以前、ブログ「奪われないわたし」にも書いたけど、

「出来事」や「ひと」は、わたしから何も奪わない。


いつもいつも奪っているのは「私」なのでした。


私がわたしから元氣を奪う

私がわたしから価値を奪う

私がわたしから氣力・体力を奪う

私がわたしから希望を奪う・・・


教員をしていた時に、何か問題が起きるとすぐに自分を責める私を見て、

父が一言こう言った。


「なんで、そんなに自分をいじめるんだ・・・?

 そんなにいじめんでよかやろうが。」


その時気づいたの。初めて。


私はわたしにハラスメントしていたってことに


ハラスメント(いじめ、虐待を含む)って、今、いろんなところで行われている。

顕在化している。

私も聞きますよ、いろんなハラスメントの話。

そして、いろいろな場所でいろいろなハラスメントが横行していることも感じている。



で、ね。

ハラスメントをなくすには、どうしたらいいのか。

考えてみた。

そのハラスメントをしている人を糾弾する、訴える、、、。

で、世の中からハラスメントがなくなるんか??

いや、なくならんだろう。

(ハラスメントを許すっていう意味じゃないよ)


そもそも、他人にハラスメントをしている人って、

自分で自分にハラスメントを行い続けている人、それに無自覚な人なんじゃないか。

幸せなひと、幸せに気づける人はさ、ハラスメントはしないよね。


では、どうして幸せではないのか?


それは、自分が幸せであることを、自分で許せていないから


これはまぎれもなく自分に対するハラスメントだよね


この自分ハラスメントをやめていく。

これこそがあらゆるハラスメントからの脱却になるのではないかと思う。


これからの時代、自分の幸せに自分で責任をもつということが、最も重要になってくる。


ひとりひとりが、自分の幸せに責任をもつこと。

ひとつひとつの決断を、自分が行うこと。


すなわち、自立していくことが必須になっていくのではないか


自分を大切に・・・という本当の意味が見え始めてきている。


自分を大切にしよう、自分を癒そうというムーブメントと同時に

「癒しを求めるこころは卑しい」という言葉も出てきた。

これは「癒しを求める」という欲に対する単なる戒めではないと思う。


その「場所」や「ひと」「出来事」を通して

自分が自分を癒しているのだという認識に改めよう

という意味にとらえたい。


癒しとは外に求めるものではなく

自分から湧き上がるもの

そういった真の癒しは自立への道を促す


自分自神がパワースポットであるという認識こそが

ひとを本当の自立に導くもの


今、私は自立に向かって生き始め

これまで大事に抱えてきた価値観の多くをアップデートする時期にきた。

恐怖、罪悪感、不安、はあるけれども

後悔はない。


ただ今アップデート中。

ゆっくりとした生活に見えて、中身はハード。


わたしが私に会いに来た、その時から


私がわたしを思い出す旅が始まった。


今は旅のはじめ。


わたしは一体だれに向かってこの文章を書いているんだろう?

って不思議に思うことがある。


まるでもうひとりのわたしに宛てているような感覚。


私の旅の始めから、この文章にお付き合いくださっているあなたに

とても強い縁と感謝を感じます。


いつもありがとうございます。


Love,

Shoko


美しい森の中にたくさんのオーブを見たよ♡




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