優しい氣もち

「知足」という言葉がある。


その言葉に出逢った10代の私は

「足るを知る」という言葉に

憧れを覚えました。


その頃の私の解釈はこう・・・


人間の欲望には際限がない。

「もっと、もっと」というこころは死ぬまで平安にたどり着かないだろう。

だから欲望のままに欲するのではなく

今の自分にあるものに目を向け

「足りている」ということを知ろう。


こういう解釈をしていた頃、

「欲望」というものに否定的だったって思う。

なんだか「禁欲的」ともいえる解釈をしたのよね。

そして「素敵だなぁ」ってうっとりしてた。


そこから20年近くが過ぎ

ご存知の通り

今の私は、「欲望」に肯定的。

自分から湧き上がる「欲」こそが

「わたし」という存在を際立たせ

「わたしの世界」を創り上げる羅針盤であると思っている。


ちょっと前までは

だから

逆に「知足~足るを知る~」という言葉に否定的になってた。


今ね

夏至を過ぎてから

私の中の意識がまた音を立てて変わり、

言うなれば

以前好きだった(そして一度否定した)思想を

もう一度

人生の中で再生させていく時期

に入ったように思うの。


幼少期、子ども時代から青年期、

そして20代、30代。


私がわたしを取り戻すにつれて

一時期はとても好きだった

そして、私を支えてくれた思想を

切り捨てて

否定してきた。


夏至の前、一週間は

それらが私のからだの中で暴れ出すのを感じて

ものすごくあやうかったの~。


「助けて!」って言いたいのに

誰に何をどうやって「助けて」もらったらいいのか分からなかった。


ひとりでもがいて苦しんで・・・


ちょうどものさしではかったように

夏至の日に「その時」は訪れた。


自分の中の本音が

ある人の前でポロリと言葉になったの。


「私、もう〇〇がイヤなんです。しんどいんです。」と。


そしたらさ、泣きたくなったよね。

その本音と一緒に出てきたのは

「わたし」を許してない私自身だったの。

「イヤ」だとか「しんどい」って思っちゃいけないってバツをつけていた

「わたし」そのものだった。


出てきたらね、不思議と客観的になれて。

「する」か「やめる」か

All or Nothing 

白か黒か・・・

ではない選択肢が無数に見えた。

それらが見えた途端、ふっと肩のちからが抜けたの。



もう一度「知足」の今の解釈を自分なりにまとめたい。


「足るを知る」とは、

「私にあるもの」に対して「足りている」と知ることではない。

「わたしである」ということが

もうそれだけで「足りている」ということ。


夏至の夜

私はその感覚にひたりきって

あまりの優しさと愛に

とてつもない幸せを感じました。


夏至の日は図らずも「たねヨガ」の日だったんだけど

そこに集ったすべての人が

「そこにいる、そこに存在している」ということを感じるだけで

愛しくて優しい氣持ちがあふれ出したの。


「じぶん」という器はきっと無限。


じぶんをみとめ、ゆるすこと

そして

じぶんを許せない自分自身を

愛で包みながら

てばなしていくこと


それをひとつひとつ

あせらずに

じぶんのペースで

愛をもってつづけていく


そうしながら

元々「無限」だったじぶんに

戻っていけるのではないかと


泣きたいくらいに

優しい氣もちで

今、そう思っています。


Love,

Shoko





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