軽くなろう♡
久しぶりに風邪っぴきのしょうこです。
またまたパワフルな満月前のデトックス。
見事にからだとこころに訪れました。
こころ揺さぶられる言葉を投げかけられたり
自分自身とまたしっかりと向き合わなければいけない出来事が
もう見事なまでのタイミングでどっかーんとやってきた。
今回、こころ揺さぶられ、なんならちょっと傷つく言葉をかけられたんだけどね、
そこで自分の中に湧き上がる感情や思考と、目の前の相手とは全く何の関係もないんです。
例えば「あんたってバカじゃないの」と言われたとする。
そこで、「バカにされた」「見下された!」「ひどいことを言われた」「あんたに言われたくない」「あんなことを言うなんて、最低なひとだ」「バカと言う方がバカだ」とか、自分の中に湧き上がったとする。
でも、それは「わたしの認識」であって、「事実」ではない。
事実は「Aさんが私に向かって『あんたってバカじゃないの』と言った」ってこと。
That's all.
それだけ。
そこに怒りが湧き上がってくるとしたら、それは、まぁ、こっち側の問題なわけです。
(自分を責めるとか、反省するって意味じゃないよ)
今回、私が言われた言葉は「お金にもならない夢を追ってどうすんだ」的な言葉だったんだけど、そこで揺らいだのは、10%くらい「お金にもならない(かもしれない)夢を追うのはリスキーだ」という思いが自分の中にもあるから。
そう言われて初めて、自分の中にもそういう考えがまだ存在することを認識したのね。
だから、今私の中にあるのは、「それを言ったAさんは、世代も違うし、価値観もえらい違うし、だからまぁそう考えるのも無理はあるまい。」という途轍もなく冷静な感想。
「ま、Aさんだったら、そう考えるだろうね、うん。わたしは違うけど。」ってこと。
そして、自分はお金を稼ぎたいわけではなく、循環を大きくしていきたい、と考えていること。
お金や影響の循環を大きくして、自分の大切なものを大事にしたいと思っている、自分を生きたいと思っているひとたちに、「大丈夫。やれるよ。」と示したいと思っていること。
それは、今やってることと1mmもズレてなくて、そういう環境を創ることが私にとっての喜び、生きる意味なの。
「リスクや失敗はできるだけ避け、無難にいく」
「人からどう見られるかを常に考え、批難を受けるようなことはしない」
というAさんの行動規範、判断基準は、「Aさんの思い込み」であり、かつ「私の中にもある思い込み」であることを発見した。
そういう「思い込み」を見つけては手放していく。
そうやって軽く、シンプルに、本質的に生きたい、と私は意志しています。
だから、どんなに自分にとって悪役っぽいひとでも、私の人生に現れたからには、めっちゃくちゃ意味のある配役なんだよね。
誰の生活にも、人生にも、そういう配役のひとって現れると思うんだけど、そのひとはそういう役をしてくれているだけです。
本質は、「自分の中の思い込みに気づかせてもらっている」ということ。
気づかせてもらって、「もっと軽くなれるよ~」っていうメッセージなわけですな。
誰かから言われて重ーくなった言葉は、「その思い込みはもうあなたには必要ない」っていうサイン。
手放して軽くなろう♡
これ書いてたら、だいぶからだも楽になってきた。
アウトプットの大事さよ。
読んでくださってありがとうございました^^
Love,
Shoko
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