【重要】欲求とともに生きる
欲求とは、私たちが「今世で果たそう」と決めてきた使命を指し示すもの。
要するに「神様からの指示」です。
だからこそ、自分の外側に「神様」を設定するよりは、内側に「自神」を設定する方が理に適っている。
だって、欲求って内側から湧いてくるものでしょう?
特に女性にとって、その「自神」の居場所は「子宮」であると言えば、なんとなく納得がいくのではないでしょうか。
欲求は、子宮から湧いてくる。
「生命」そのものです。
エネルギーです。
何度かブログ内でも話しましたが、女性のからだを模してつくられたのが「神社」ですから、本当によくできているシステムだし、日本という国の奥深さと魅力は計り知れません。
お宮(子宮)の中には鏡があり、私たちは鏡に映る自分自神に手を合わせ、宣言、もしくは感謝を宣べるわけですから。
それを大昔から自然とやってきた私たちですから。
「おとこは下半身でものを考える」って聞いたことがあるけど、どっちかというと、おんなのほうが下半身(子宮周辺)でものを考えたほうが良いのではないかしら。
つまり、下等なもの、下品なものとされてきた「欲求」こそ聖なるものであったということに、もう気づいて然るべき時代に入ってきたということです。
私は自分自神で生きるという意味での「生への欲求」が激烈です。
だからこそ、すぐに死にたくなる。
自分の欲求を殺そうとした瞬間に「死にたい」と出てくる。
過激です。
私の場合、なのか、女性が本来そうなのかは分からないけれど、「自分自神で生きられないのであれば死んだ方がマシ」といったわけなのです。
どうしたいのか。
どう生きたいのか。
どう在りたいのか。
自分自神の在り方をとことんまで見つめてあげなければ、すぐに絶望してしまうほどに過激なものを内側に秘めながら、欲求とともに生きていく意志を、何度も何度も固めながら(それは「覚悟」「肚を決める」ってことと同義)今も、必死で生きている。
そうすると、目が血走って、肩に力が入って、、、となりそうなものだけれども、逆なのがおもしろい。
欲求をかなえながら生きる在り方とは、
未来の自分が感謝するような「今」の在り方。
過去の自分に感謝できるような「今」の在り方。
だから厳しいけれど、愉しく、喜びと愛に溢れた生き方です。
豊かで美しく福々とした在り方です。
Love,
Shoko
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