からだとの約束
「死にたい」と思ったことが数え切れないほどにある。
幼稚園年長さんの頃、ブランコをこぎながら人生に絶望したことも
生々しく覚えている。
今日は、私にとってなじみの深い「死にたい」について考えてみたら、とても重要なことを思い出したのでシェアします!
「あぁ、このからだを脱いで楽になりたい」と、願ったことのないひとはいないのではないかしら。
「死」って忌み避けられている最たるもの。
それなのに「死にたい」と、ひとは思う。
何故だと思う?
それは、死というものに対する恐怖と共に、
「死んだら楽になる」ということへの確信を、わたしたちが持っているということではないかな。
何処かで知っている。
このからだを脱ぎ捨てれば楽になれることを。
からだのない世界
魂だけの世界
エネルギーの世界
光の世界
無限の世界
すべてがひとつの世界から、
あえてこの世界にやってきた。
このからだひとつを聖堂として。
この重くて、有限で、自由に空も飛べないからだを乗り物にして。
無限に広がるこの世界を、このからだひとつの中にぎゅーっと凝縮させて。
かたちのない世界を、「からだ」というかたちに表して。
からだは知っている。
自分の中に入っている魂が、自由を求めていることを。
そして、からだが死ねばそれは簡単に手に入ることを。
だけどね、私の魂は、きっと私のからだと約束したの。
一緒に、たくさんのことを感じようって。
不自由だからこそ分かる自由の味があり、
絶望したからこそ分かる希望の味があることを、
死があるからこそ分かる生きることの甘美を、
分離しているからこそ分かる繋がりの温かさを、
一緒に味わおうって。
一緒に、この世が愛であることを現そうって。
からだはずっと覚えてる。
あの時交わした約束を。
そして「死ぬまであなたの味方だ」と、固く誓ってこの世へとやってきた。
死んだら楽になるなんて当たり前よ。
死んだら天国に行けるなんて当然のこと。
でも所詮、私たち100%死ぬじゃない。
それならば、よ?
生きながらに楽になる道を
生きながらに天国を創る道を
生きながらに自由になる道を
歩んでもいいんじゃない?
あぁ、わたしのからだよ。
いつもいつも味方であり、
痛みや苦しみや、胸が痛いほどの喜びや、様々な感覚をもって、道を示そうとし続けているわたしの盟友よ。
わたしの望みが何か、
わたしは何がしたいのか、
何をしにここにやってきたのか、
こたえはすべてあなたが持っている。
感覚を研ぎ澄ませ。
世界を凝縮させた
自分自身のからだに。
毎日、毎瞬が瞑想であるように生きよ。
自分と向き合い、向き合い、向き合い続ける。
瞑想の時間だけが瞑想ではない。
ヨガの時間だけがヨガではない。
ヨガの先生が言っていたなぁ。
「ヨガをやっている時はただのレッスン。マットを降りた瞬間からが本当のヨガです。」と。
ヨガはヨガじゃない。
瞑想は瞑想じゃない。
ただのレッスン。
このからだで自分自神を生きることそのものが
ヨガであり瞑想。
自分の中心に戻って
このからだを生きよ。
「死にたい」は
「逝きたい」と同時に
「生きたい」だということに
今日、はっきりと私は気づいたよ。
Love,
Shoko
わたしを生きるために始めた「風とたね」は
今日一歳の誕生日を迎えました。
わたしを見つけてくださったあなたに
こころからの感謝を。
2020年にスタートする新しい事業も
今ぐんと動き出したところです。
これからも
わたしがわたしを生きることが
あなたがあなたを生きる手助けになりますように。
Mちゃん、可愛いお花をありがとう♡
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