しあわせレッスン#04
おはようございます。
昨日、娘たちが採ってくれた、庭のさくらんぼの実が美味しすぎました♪
この樹に対して、私たちは何もしていません。
太陽、土、そこに生きる生き物、微生物たち、雨、風・・・。
それらのおかげで、こうしてまた今年も美味しい実をつけてくれた。
私たちは、「春になったらまた美味しいさくらんぼちゃんをつけてくれるんだろうな❤」って待っていただけ。
昨年漬けた梅シロップも、「一年待ってたら、めちゃくちゃ美味しいよ」と本に書いてあったので、ひたすら、待っていた(待つことも忘れて、時々思い出してはニンマリしてた)だけ。
最近、ためしにお湯で割ったら激うまだったので、お客様に出しました。
んで、漬かってる梅ごとヨーグルトに入れたら、もう果てしなく美味しかった・・・。
(ブログを読んでくださっている愛するみなさん、もうお気づきだと思いますが、私はくいしんぼうです)
「待つ」ということ。
それも、重たく期待せずに、ふんわりと楽しみに待つということ。
スピーディーな展開も刺激的ですが、時間をかけるということも、この地球の楽しみ方のひとつだなって思う。
でね、太陽の愛について、大学の時からよく考えていたんだけど。
なんか、誰も「明日、太陽さん、昇ってください~。昇ってくんないと私たち死にます!」とかって重く期待しなくても、当たり前のように昇ってくれる(というか、ずっと燃えて輝き続けてくれているのだけど)じゃないですか。
そして、一切の分け隔てなく、地球上のあらゆるものの上で輝き続けている。
これこそ、「愛」だなって。
太陽に神様をみるという、太陽信仰が生まれるのも激しくうなずけます。
普通、人間の思う「愛」って、条件つきなことが多くて。
「〇〇だから、この人が好き」
「心地よいから〇〇が良い」
座標軸の原点に自分がいて、そこからマイナスかプラスか、よりマイナスか、よりプラスか・・・という感じで、自分の周りのものをジャッジする。
それが良いとか悪いとかじゃなくて、「愛」というものをとらえる時、そういう一面的な見方は、性質的にそぐわない。
だから、普通私たちが使う「愛してる」って「大好き」ってことであって、それは、人間として生きてる上で、生き生きと感じて表現していけば良い。
で、「善か悪か」「正しいか間違っているか」「損か得か」という基準で物事を見ようとすると、これはね、ツライ。
私が今までの人生かけて証明してきた。
これはツライよ~。
それを押し付けあうと、いがみ合いになる。
度を越してくると、戦争になる。
そして、これは相手との関係のみならず、自分の中で始まり、自分を攻撃するに至る病でもある。
私の場合、後者の方で、人といがみ合うというより、自分とのいがみ合い。
ジャッジメントの世界は、とても苦しい。そして果てしない。
すべてを包み込む。
すべてを受け入れる。
何も期待せずに、自分自身でいる。
という在り方は、何だか受動的に見えるけど、究極の能動だと思う。
だって、そう在るだけで、自分も満たされるばかりか、他の人や自分の周りの世界を温かく照らすことになるから。
そう、まさに太陽のように。
しあわせレッスン#04
このGWは、自分の中にお日様を見つけよう。
ハートに手を当てて、ピンクの光をイメージ。
それがハートから出て、ふんわりと自分を包み、それから自分のいる部屋に優しく広がっていくのをイメージしましょう。
「なんだか温かいなぁ」ってきっと感じると思う。
ゆっくりとした時間をもって、自分の中からピンク色の温かい光を感じましょう。
せわしい毎日の中で、「意識して」イメージしましょう。
もしも、GWも変わらずお仕事よっていう方も、家事は年中無休だわよって方も、育児は年中無休どころか24時間営業じゃい!って方も(いやぁ、あの24時間営業死守のコンビニ業界ですら変わってきたから、この概念もそろそろ手放していいよね~)ふんわりとした時間をもちましょう。
重い、鋭い、深い、速いがよしとされてきた平成は終わり。
軽く、やわらかく、その時の氣分で、ハッピーに、ゆっくり待つ、新しい感覚へと。
みんなでこの新しい波に、新しい風に、のっていこう!!
誰に遠慮なんかいらない。
心配なんかしないで。
あなたは、愛そのもの。
世界は愛でできている。
Love,
Shoko
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