自分を生きる
昨日牡羊座新月を迎えました。
まだ新月のエネルギーが残っているうちに
どんな自分になりたいか
これまでの自分の延長線上ではなく
自由に楽しく、やんちゃにイメージしてみてください♪
小さな子どもに戻ったつもりで、少々野蛮なくらいに自由にやってみましょう!
やんちゃと言えば、私は、子どもの頃からサッカーをしているんですけど、サッカーが好きな理由を聞かれることが昔から多かったんです。
その頃は女子でサッカーをしている子が少なかったですから。
なので、「どうして私はサッカーが好きなんだろう?」ってよくじっくり考えていました。
たくさんあるんですよ。大好きである理由は。
で、大きな理由のひとつに、
「頭もからだも魂も、ぜ~んぶフル稼働できるから」っていうのがあって。
すっごく「生きてる」感じがするんですね。
これを、サッカー以外にもやりたいんです。
自分自身に。やってあげたい。
頭もからだも魂も、ぜんぶフル稼働で、生きたい。
自分の本領を発揮したい。
そう思いませんか?
自分のすべてを生かしたいって。
でも・・・
それって、どうすれば出来るんだろう?
少し私自身の過去を振り返りながら、探っていきたいと思います。
これを読んでいるあなたも、ご自分のことを振り返って考えてみられてください^^
小学生の時、男の子主体の少年サッカー部に入り、女子部員を募って、チームを創りました。
中学、高校は、自分たちで創った女子チームでプレー。
大学時代は、思い切って大学の男子サッカー部に入部し、男性と一緒にプレーを楽しみました。
社会人として、社会の中で力強く生きていこう!と意気込んでいた20代前半。
男性と一緒にサッカーをする、ということと、「社会の中で生きていく」ということが、どこかでリンクしているような気がしていました。
何故なら今の社会の枠組みを作ったのは、やはり男性だと言わざるを得ないからです。
男性が創り出したそのステージで、女性のからだをもって、体を張って生きていくということ。
サッカーというステージで言えば、男性と「力」や「スピード」で張り合おうと思っても、それは土台無理なこと。
私が男性と遜色なくプレーできたのは、それをいち早くあきらめて、「テクニック」「判断の速さ」「冷静さ」で勝負しようと決めていたからです。
要するに、社会というステージでも「今もっているもの」を磨いて勝負していこうと決意したということです。
だけど、実際に社会に出てみると、やはり「力み」が生まれ、肩に力が入り、今の自分に足りないものばかりに目がいったりと、どこか「負けないぞ」という意識がありました。
社会人になってから男性と一緒にサッカーしていて、左膝前十字靭帯断裂という大けがをして、手術、リハビリをしたり。
小学校の教員時代は、毎日のように胃の激痛で苦しんだり、数ヶ月に一度高熱で倒れたりしていました。
子どもたちのことも、男性女性問わず一緒にサッカーをすることも、大好きなのに・・・。
怪我をしたり、からだが壊れてしまったり、精神的にきつい想いをすることが多かった。
子どもが悪いのでもない、学校という職場が悪いのでもない。
男性が悪いわけでもない。
ただ、何かがチガウ。
そんな時出逢ったのが、冷えとり健康法と布ナプキンでした。
出逢った頃は、とにかくその気持ちよさ、心地よさに夢中になりました。
「自分を大切にする」ということをからだで感じた瞬間でした。
女性のからだをもって生きている自分を愛しく思い始めたスタートでもありました。
それまでの生理は鬱陶しいもの(サッカーや仕事においては最も邪魔な期間)でしかなかったし、コンスタントに仕事ができない自分がキライでした。
その「自分がキライ」という地点から、ちょっとずつちょっとずつ変化していったあの頃。
それから十年が経とうとしています。
「自分」というものを全身全霊で生きるということが、どういうことなのか、少しずつ分かってきました。
それは「力む」ことではなかった。
社会の中で認められようと努力し続けることでもなかった。
自分の大切なからだやこころを置いてけぼりにして、社会からも自分からも認められる、「わたしではない誰か」になろうとしていた自分にはっと気が付いたのです。
私の中のやんちゃな少女が、目をキラキラ輝かせながら言います。
「わたしたちは、自由だ。自由とは自分で決めていくことなんだ。」と。
私がサッカーを好きなもうひとつの理由。
それは、どんな状況でも「自分で決める」ことができるということです。
どんな状況でも、どんな環境でも、「自分で決める」ことはできる。
それを始めると、世界にたったひとりの自分が際立ち、輝き始めます。
どんな状況も環境も、条件も、あなたがあなたを生きない言い訳にはならない。
どんな場所からでも、わたしはわたしを生き始めることができます。
そのスタートは、わたしがわたしであることを認めるということです。
言葉に書くと簡単に聞こえますね。
だけど、一瞬一瞬自分を認めていく、どんな自分も受け入れていく、自分で決めていくことって、とても地道で地味な作業。
自分というものを決して投げ出さないこと。
決して離さないこと。
もし努力するとしたら、そこだけなのかもしれません。
そういう生き方に目覚めても、毎日のくらしの中で、自分からズレていってしまい、本領発揮どころかエネルギー不足になってしまうこともあります。
そんな時、どういったこと(智慧や意識の持っていき方)が実際に役立つか、これからも、このブログにいろいろと書いていきたいなぁと思います。
常に実践者でありたい。
そして、それがあなたのお役に立つならこんなに嬉しいことはありません。
それでは、朗らかな春の一日を!
Love,
Shoko
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