To my own beat now
最近西の空を見ていますか?
それはそれは美しいです。
2020年になって、天候のことでいくつかの特徴があります。
まず風が強いこと。
そして雨がよく降ること。
空が美しいこと。
風が強かったり雨が降ったりすると、ふと違う次元、違うタイムラインに入ってしまったかのような、時が止まっているかのような、不思議な感覚になるときがあります。
そんな時には、自分の内になる「静かな場所」にそっと降り立っていく自分を赦してほしいと思います。
時代や社会の状況は、何だかものすごく波立っているように見えるけれども、戻るところは、いつもそこです。
海の底から、黙って世界を見てみましょう。
ニュートラルな視点で見てみましょう。
今も雨が降っているけれども、最近の雨には、はっきりとした濃淡があります。
だけど、私たちの悪い癖で「今日は一日雨だった」としてしまうところがある。
天気予報を見ていると、一日が「傘マーク」で表されるしね。
でも、そうではないんです。
物事をそのままに見る練習だと思って、観察してみてください。
一日の内、ずっと同じ調子で雨が降っていることはない。
ずっと同じ暗さでもない。
なんなら日が差す時間もあったりする。
夕方にもなれば夕陽が綺麗に見えていたりする。
雲は何層にもなっています。
高い所にある雲、低い所にある雲。
流れ方、流れるスピードが全く違うはずです。
世界もそれと同じです。
同時並行的に色々なことが起きている。
「今」の状況は刻一刻と変化し、気づいたときには、驚くほどの変化が起きていたりする。
それなのに、人間って「ひとくくり」にする癖があるんですよね。
一日の内に、刻一刻と変わっている天気を、ちゃんと見もせずに「今日は雨だった」とするような、そういう癖がある。
「ひとくくり」にすること、「これが真実だ」「これが正解だ」「これが善だ」と断じることは、実はとても危険です。
そのままに見ることをせずに、断じてしまう、ということは、言葉を変えると「思考停止状態」です。
もっと言うと「奴隷状態」。
自分で見ない、自分で感じない、自分で考えない、自分で判断しない。
自分で見てもない、自分で感じてもいないのに、「これが真実だ」と言うのなら、それはそのひとの考えではない。
他の誰かの考えです。
だからいつも不安で、よくわからないのに恐怖心だけが増殖する。
「こうしていれば大丈夫ですよ」「みんなこうしていますよ」という呼びかけに飛びつく。
自分のからだからのサインは無視してでも。
本当にそうなのか、調べもせずに。
これは今までずっとそうだったのが、コロナの件によって、ものの見事に現実化しています。
「教育」(学校だけでなくマスコミや社会による教育も含め)の弊害はもちろんあります。
だけど、自分を再教育する時代に、いよいよなってきました。
自分の感覚を取り戻すために、一番の方法だと私が今思っていることを書きますね。
それは「自然を観察すること」です。
その一環として、トイレに行きたい時にすぐさま行ってください。
からだは「自然」ですから。(そのひとの「所有物」ではありません)
自分のからだを観察するのに、尿意、便意はとても重要なポイントです。
同じ部署のひと、隣に座っているひと、友だち、パートナー、、、他の誰とも違う、自分だけのリズムを、自分のからだが刻んでいる証拠だからです。
また、トイレに行ったら、無意識にではなく、一生懸命出してください。
意識的に出しましょう。
不快や快感に敏感になってくると思います。
自分を再教育する、と言いましたが、ここで言う「教育」は従来のような「飼いならし」や「コントロール」ではありません。
真逆です。
「野生を取り戻す」ということです。
だから、自然、そして一番身近な自然である自分のからだを観察することから始めましょう。
今、このことはとても大事なことだと感じていて、いてもたってもいられなくなってこのブログを書きました。
少しでも引っかかるところや、気づきがあったら、ぜひ実践してください。
いつの間にか
かいならされ
コントロールされ
感覚、感情、思考を乗っ取られていないか。
そして、その結果、
「人生の時間」そのものを盗まれていないか。
これは、今、わたしたちが真剣になって向き合わなければいけない問いです。
今日もまた溢れ出るままに書きました。
お読みいただき、ありがとうございました。
Love,
Shoko
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