天国はあなた方のただなかにある
「天国はあなた方のただなかにある」
とはイエス・キリストさまの言葉として伝えられている有名なことば。
ちょっと誤解されやすいのだけど
キリスト教っていう宗教、
イエスさまが広めたわけではない。
私の認識だと、イエスさまは
必要なひとに必要なことばを伝え続けた方。
そうやって行動し続けてきたイエスさまの言動を弟子たちが記録し
それが福音書としてまとめられた。
(ちなみに福音とはゴスペル“God spell” “Good news”という意味。)
ほんで、後世の教徒たちが
キリスト教の「新約聖書」におさめ、キリスト教の聖典としたのね。
とまあ、ちょっと脱線しましたが
冒頭の言葉に戻ろう。
「天国はあなた方のただなかにある」
大好きなことばだ。
人間の存在を純粋に認めることばだと思う。
「いま」を我慢して
「良い人」でいれば
「いつか天国に行ける」
もしくは
「少なくとも地獄には行かなくてすむ」
「良い人」でいたい私たちの
深い心理の中には
そういう考えがあるのかもしれないと思う。
さもなくば
どうして私たちは「良い人」でいたいのか?
「良い人」でいればいつか報われると
いや、報われなくとも
地獄を味わわなくてすむと思ってはいないか。
現象的には
私たちは
「いま」にしか存在することができないのに
「いま」を犠牲にすることで何を得ようとしているのか?
何から逃げようとしてるのか?
それって
未来の安心、そして未来に対する恐怖ではないか。
「良い人でいれば天国に行ける」という安心感を得たい。
「良い人でいなければ地獄行きだ」という恐怖から逃げたい。
だけど、イエスさまってもう言っちゃったんだよね。
力強く。
確信に満ちて。
「天国はきみたちの生きる『いま』のど真ん中にあるぜ」って。
天国は善行を積んだ先にある、ここではない何処かでもなく
選ばれたひとしか行けないような遠い場所でもない。
天国はもうすでにいま在る、って。
きみたちはもうすでに天国の住人なんだって。
イエスさまは言った。
あなたがいる
いま
ここ。
すなわち
天国は
絶望の中にあり
希望の中にある。
天国は
最低でゲスなわたしの中にあり
最高に天使なわたしの中にある。
天国は
悲しみであり
喜びだ。
天国は
虚無であり
全だ。
わたしという存在のすべてを
包み込む場所。
そしてその場所は
矛盾するようだが
わたしの中にある。
私たちって
すべてを許された
めちゃくちゃ自由な存在なのだ。
「いま」を我慢しなけりゃいけないような
不自由な存在じゃないんだ。
「天国にいきたい」という切なる願いは
もう実のところ叶っちゃってるんだからさ。
未来に待ってるんだか待ってないんだか分からないような天国なんか
信じるに値しないよ。
やりたいならやろうよ。
大切にしたいものを大切にしようよ。
「良い人」にならなくていい。
「役に立つ人」にならなくていい。
恩を返せなくていい。
意味のあることをできなくていい。
だから
いま、ここの自分を離すな。
「いま」という天国を
思いっきり生きよう。
感じよう。
眠くてボーっとしてたら
「ブログ書くよ~」って
自分の中のわたしが言うので
ボーっとしながらキーボードを打ちました。
これを読んだ誰かの魂に
触れたらいいな。
ではでは。
みなさま良い休日を♡
おやすみなさい。
Love,
Shoko
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